渡辺 やすゆき
わたなべ 泰之
日本維新の会
埼玉県選挙区支部長
総務省元官僚
高槻市元副市長
那須塩原市元副市長
渡辺やすゆきのプロフィール
略歴
1972年 | 11月 13日 生 |
1985年 | 埼玉県 蕨市立 西小学校 卒業 |
1988年 | 埼玉県 蕨市立 第二中学校 卒業 |
1991年 | 埼玉県立 浦和高校 卒業 |
1996年 | 慶應義塾大学 法学部 法律学科 卒業 |
1998年 | 慶應義塾大学 大学院法学研究科 公法学専攻 修了(修士(法学)) |
1998年 | 総務庁(現 総務省) 入省 |
2003年 | 米国 コロンビア大学 大学院 修了(修士(国際公共政策学)) |
2004年 | 内閣官房 郵政民営化準備室 参事官補佐(郵便局株式会社担当) |
2007年 | 内閣官房 行政改革推進室 参事官補佐(国家公務員制度改革担当) |
2010年 | 大阪府 高槻市 副市長 大阪府 特別参与 |
2012年 | 栃木県 那須塩原市 副市長 |
2015年 | 政策研究大学院大学 准教授 |
2018年 | 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 聖火リレー担当部長 |
趣味
旅行、温泉巡り、スキー(1級)、ランニング
好きな映画はブレードランナー
好きな漫画はキングダム
好きな音楽は銀河鉄道999(ゴダイゴ)
高校卒業まで
昭和47年、現在、和光市にある国立保健医療科学院(旧公衆衛生院)に勤務する研究者の長男として誕生しました。蕨市立西小学校3年の時、初めて自分で計画を立てて旅行をした先は新座市の平林寺。郷土学習の授業で「野火止用水」を学び見に行きたくなりました。また埼玉県立浦和高校時代には、50キロ古河競歩大会で全校生徒約1,500人中13位に。活発な幼少期・青年期を過ごしました。なお、写真で私の隣で写っているのは、嘉田由紀子参議院議員(前滋賀県知事)。私の実の叔母にあたります。
大学時代
平成4年、慶應義塾大学法学部法律学科に入学し、平成10年には同大学院公法学研究科を卒業(法学修士)しました。大学在籍時には、世界旅行研究会を設立。中国やインドなどを毎年1か月以上放浪しました。中国西域のウルムチでは、仲良くなったウィグル人の結婚式に招待されました。今、あの新婚夫婦はどうしているのか気がかりです。またインドでは、物乞いとして生きられるよう、生まれてすぐに腕を切られる子どもがいると聞き衝撃を受けました。
総務官僚として
平成10年に総務庁(現総務省)に入省。平成16年には内閣官房郵政民営化準備室にて郵便局株式会社関連法案などを策定。写真は、郵政民営化法国会成立直後、郵政民営化準備室のオフィスを訪れた小泉総理と竹中大臣と一緒に撮影したもの。壁だと思っていた場所が実は扉で開くことがあることを実感しました。叩き続ければ扉は開きます。その経験が、次の公務員制度改革につながりました。平成19年、内閣官房行政改革推進室にて国家公務員制度改革基本法案などを策定。内閣人事局の新設や国家公務員幹部職員を総理・官房長官・大臣が協議して任免する制度の導入をしました。この制度改正は、官僚主導から政治主導へと統治機構の仕組みを変える大きな改革でした。
大阪府高槻市副市長時代
平成22年には、大阪府高槻市に出向し、大阪府高槻市副市長に就任しました。当時の橋下徹知事からの要請で大阪府特別参与にも就任しました。高槻市では、多くの反対を押しのけて革新的な政策を次々と導入しました。高槻市を離れる時には、改革を共に断行した高槻市の幹部12名からユニークな感謝状をもらいました。そこには、『貴殿は、何の縁もない高槻市において、厳しい環境にもめげず、あなたの知識や知恵、人脈をフルに活用し、高槻市の未来のため、大いに尽力されました』と書かれています。私の何よりもの宝物です。
栃木県那須塩原市副市長時代
平成24年には、栃木県那須塩原市副市長に就任しました。那須塩原市でも、数多くの改革を断行しました。例えば、議会の反対を押し切り、補助金の一律1割カットなどを断行しました。そのような痛みを伴う改革を行う場合、まずは、自らも痛みを分かち合わなければなりません。そこで、市長にお願いし給与を30%カット、副市長の私も20%カットをしました。そのお陰もあってか、改革を無事断行できました。職員も、黒澤明の映画『生きる』の主人公のように仕事に前向きになり、シティープロモーションのために「恋するフォーチュン・クッキー」を踊るまでに。ある部長が定年退職する際、「30年市役所で働いてきて、渡辺副市長と一緒に働いた最後の1年が一番楽しかった」と仰って頂いたのが、非常に印象に残っています。
政策研究大学院大学准教授時代
平成27年、国立大学法人 政策研究大学院大学准教授に就任しました。3年間、外国政府の幹部職員に対し、「リーダーシップ」や「行政改革」などを講義しました。自国に帰った私の教え子たちは、現在、副大臣などの要職に就き活躍しています。